紆余曲折があった大学院生活を修了し、今後の自分の生活を模索しながら、フリーで3年間生活しました。
アルバイトを3つ掛け持ちしながら、レッスンと演奏会活動、コンクールを受けて自分は何がしたいのか悩む日々でした。
コンクールで入賞したり、演奏会も好評ではあったものの、その日暮らしのように過ぎ去る日々の中で、高いレッスン代を払い続けていくことにも、先の見えない将来にも不安しかありませんでした。
そこで、やっぱり本場でしっかり学ばなければいけない、そこで自分が納得できなかったら、歌い続けることは諦めようと決めました。
手始めに、本場のヨーロッパにとりあえず行くことに決めました。
最初からレッスンを「メインに!」と考えず、今回はウィーン留学中の友人を訪問し、実際の留学生活を見聞きし、イタリアまで足を伸ばすことにしました。
今までの短期留学とは異なり、レッスンをガッツリ入れるのではなく、生活感も含めてゆとりを持って考えるようにしました。
・本場で自分が学べるのか・通用するのか、できなければ「歌の道」を諦める
・留学生の実生活を間近で見聞きする
・レッスンをメインにするのではなく、そこの生活や歴史を感じる旅にする
今回の旅は、生活やレッスンも含めて本当に自分が留学したいのか、できるのかを見極める旅。26歳という年齢もあり、最後のチャンスとしてこの旅をする!この記事では、どうやってその後のイタリア留学に繋がっていったのかポイントをお伝えします!
【この記事の信頼性】
この記事を書いているのは、欧米7カ国でレッスンを受け、イタリア、ドイツ、スイス、イギリス、オーストリアで演奏経験をした元音楽学生です。
地盤、人脈、今のような使いやすいネット環境もそんなに良くない中始まった、どんな音楽生活をしたか、実体験を全てお届けします😀
【この記事でわかること】
- 実際の留学生活
- チャンスはどこにあるか分からない!?
- 目から鱗!習いたい先生はこういう人だった!
実際のヨーロッパ音楽留学生活は!?-ウィーン編-
今までは短期でレッスンを受けることを前提に短期留学をしてきたので、現地で実生活をしている人の目線に立っていなかったことに気づきました。
私の同級生では既に2人が留学をしていました。
1人はオーストリアのウィーン(Aさん)、1人はイタリアのミラノ(Bさん)でした。
先にウィーン在住のAさんに会い、次にイタリア在住のBさんに会うように予定を組みました。
何か特別のレッスンを入れることをせずに、ヨーロッパ2カ国を巡る旅。
どんな感じだったかお伝えします。
Aさんは大学院を修了後、早々にウィーンに留学し始めました。
最初は語学学校にいきながら、現地で習いたい先生探しをし、その後先生がレッスンをしている音楽学校でビザを新たに取得して通っていました。
彼女は大学在学中から、ドイツ歌曲が好きで、ドイツ語を熱心に勉強していました。
また歌だけでなく、ピアノも上手だったため、ウィーンでもたまにピアノ伴奏のアルバイトをしていました。
ちなみに、ウィーンのプライベートレッスン料金は平均約120〜150ユーロだそうです。
(※当時のレート€1=112円:約13,500円〜16,800円)
Aさんの家は、世界遺産の「ベルベデーレ宮殿」が近くにあり、年パスを持っていました。
年パスをお借りして2回ほど私も見に行きました(本当は本人以外は使っちゃダメですが・・)
話を聞くと普段のAさんの生活は、音楽の勉強をしつつ、ゆったりとした様子でした。
ここで私が特に印象に残った彼女の生活スタイルを紹介します。
・現地の人と関わりを持つように、いろんなコミュニティに参加する
・街中の世界遺産・庭園・美術館で過ごす時間を大切にする
・レッスンの課題曲が多いが、一つ一つ先生とディスカッションをして前に進めている
滞在中、現地のAさんの友人にも会いましたが、Aさんは現地にとても馴染んでいるようでした。
ドイツ語が堪能で、スラスラ話しているのを目の当たりにして、とても刺激になりました。
Aさんの友人は英語も話せたので、私は英語で話し、Aさんとその友人はドイツ語で話すという不思議な空間でした。
そんなAさんも言語に関しては、大変なことも多く、いいことばかりではなかったようです。
彼女の話で特に印象に残っている話を紹介します。
現地でいろんなコミュニティに参加して、友人を作っていたAさん。
もちろん、周りはウィーン子ばかり。
ある日、みんなと一緒にカードゲームをしていたら、わからないドイツ語の単語がいくつも出てきて、みんなが爆笑したそうです。
自分1人だけが全く理解できず、周りから取り残された気持ちになったとき、そしてそれを誰も説明してくれなかったとき、とても落ち込んだそうです。
見かねた友人が声をかけてくれたそうですが、”わからない自分” ”わからなかった自分がか恥ずかしい” ”笑っているみんなの会話を遮って、どんな内容か聞いていいのか”など、交錯したいろんな気持ちを正直に伝えたそうです。
話している途中で、Aさんは「受け身な自分」になっていたことに気づきました。
自分は、ただ説明されるのを待っていたんじゃないかという受け身の自分がいたことにも気づき、自分の中にあるモヤモヤした気持ちをなかなか切り替えることができなかったそうです。
そこで、友人ととことん話し、「自分は外国人でまだまだわからない単語やドイツ語がある」。
それを特に強く伝えたそうです。
友人たちは、てっきりAさんの語学力ではもう理解できていたと思い、自分たちの話が面白くなくて笑っていなかったと思っていたようです。
ここで、それぞれの認識の差があることに気づき、Aさんは「分からない」と伝えることが本当に大事だと思ったようです。
「そんなの言えばいいじゃん」と簡単に思ってしまいそうですが、ドイツ語を頑張って習得して、現地の人に溶け込んできても、「わからないことをわからない」と言えない、それはある意味日本人の特徴なのかもしれません。
Aさんはこのことをきっかけに、友人とより親密に話ができるようになったそうです。
私も海外に行ったときに、自分の意見を持った上でコミュニケーション能力が本当に求められたので、この点はとても納得でした。
安さにびっくり!歌劇場のオペラチケットが安い!
ウィーンの滞在中は、何度かウィーン国立歌劇場でオペラを観ました。
Aさんと一緒に、立見席のチケット購入に並び・・
そういえばチケット代といくらなの?
って聞くと・・・
「3ユーロだよ」(※当時のレート€1=112円:336円)
と驚きの回答が・・!!!
今まで私、オペラを観るのにいくらかけたのか・・・
(※日本では、学生席という特別に安い席がありますが、それでも数千円〜です)
ワンコインで、世界有数の指揮者のもとで世界トップレベルの演奏が聴ける。
なんと贅沢なことでしょう。
立見席だけど、2時間でも3時間でも喜んで立って観ますよ!
そんな気持ちでした。
滞在期間中は、世界トップレベルの方の演奏を聴くことができました。
ムーティ指揮のモーツァルト作曲「コジ・ファントゥッテ」、既に他界しましたが、ソプラノ歌手のエディタ・グルベローヴァの演奏を聴くことができました。
ウィーンの国立歌劇場は、外観はもちろん、足を踏み入れた時からまるで魔法にかかったような素敵な空間。
そのホールで、世界トップレベルの演奏を聴けることは、なんとも言えぬ幸せなひと時でした。
”ウィーン”は、ベルベデーレ宮殿、ウィーン国立歌劇場、劇場の近くにはモーツァルトの結婚式とお葬式が執り行われたシュテファン大聖堂など、歴史上の人物がすぐそこにいるのではないかと感じられる程、生きた芸術文化がありました。
オペラは特別じゃない?
3ユーロでオペラが見れる日常。
そんな中で育ったウィーン子は、「普通にオペラの話をする」と、Aさんは教えてくれました。
というのも、日常会話の中で、音楽を専門に勉強していない人でさえ、
「それって、フィガロの結婚の○○みたいだよね」
というような会話があり、”素人だから分からない”ということがないそうです。
ウィーンの学生は、夏休みに入る前の1・2週間は、学校の課外学習で美術館や博物館をクラスのみんなと一緒に周ります。(※2012年時点)
そこで、絵画一点一点の歴史的背景や技法、画家の創作背景なども学び、芸術文化の勉強をします。オペラもその一つで「子供向けのオペラ」も上演しており、小さい頃からオペラに親しむことが普通なようです。
ウィーン滞在中、私も美術館に行くと、小学生や中学生が20人位ずつ、先生の話を聞きながら絵画の前で座っている様子を何度か見ました。
私たち日本人が普通の会話の中で、「(歌舞伎の)勧進帳の飛び六方みたいだね〜」なんて会話は実際そんなに聞いたことがないですよね。
改めて、ウィーンの文化レベルの高さに驚くとともに、日本と海外の文化教育の違いがあるなぁと感じた出来事でした。
オペラの本場〜初めてのイタリアへ
数日ではありましたが、じっくりウィーンの生活を味わって、留学生活の話を聞くことができたことはとても有意義な時間でした。
ウィーンの次はイタリア!ということ、Aさんに話したところ、Aさんもイタリアに行きたい!となり、いざ2人でイタリアへ!
当初、同級生のBさんだけに会う予定でしたが、イタリア在住のC先輩にも会えるかな〜と思って、連絡したところ、ヴェローナのオペラを観に行くから一緒に行こうよ!というお誘いが!
泊まるところも何にも決めていませんでしたが、とんとん拍子に予定は決まっていきました。
・ウィーン⇨イタリア・ヴェローナ(夜行列車)
・アレーナ・ディ・ヴェローナ(古代ローマ時代の屋外闘技場)でオペラ鑑賞
・現地の元修道院の宿泊所に滞在
・ヴェローナ⇨ミラノ(各駅停車を利用)
なんとAさんの最寄駅からヴェローナまでの直通の夜行列車が通っていることが分かりました。
海外に来て、夜行列車は初めて!そして、なんとアルプス越えをする電車!
初めてのイタリアにワクワクしながら、いざ出発!
電車はイタリアの会社だったので、車掌さん含め、ほとんどがイタリア人でした。
言葉もイタリア語訛りの英語で、最初はそれが聞き取りづらく・・・!
「L」「R」の違いがほとんど巻き舌のように聞こえて分かりませんでした・・
きっと私の英語も日本語訛りの英語なんだろうなぁと思い、改めて英語も頑張ろうと思えました。
電車は、二等車両の普通車を選びました。
購入したチケットを見ながら、自分たちの部屋に入ると両側に2段ベットが設置されており、ご婦人が既にベットに座っていました。
小麦色の肌にブロンドの髪が映える、いかにもイタリアマダムな女性は、やはりイタリア人でした。
雰囲気は、若い頃のソフィア・ローレンがそのまま歳を重ねた感じで、とても気さくな方。
彼女は仕事の関係でイギリス在住、家族もみんなそれぞれ仕事でヨーロッパの各地に拠点を構えているとのことでした。
会話は英語だったのですが、彼女は綺麗なブリティッシュイングリッシュを話していたので、まるで映画の世界にいるような感覚になりました。
会話は弾みましたが、就寝時間となり、いよいよアルプス越えかと思いながら窓のカーテンを開けると、外は真っ暗でほとんど草木しか見えませんでした。
少し残念な気持ちのまま、寝床につきました。
ベットは比較的快適で、ぐっすり寝ていると・・・
なんか、ベットがどんどん傾いていくのを感じ、目が覚めました。
なんと・・・!
まさにアルプス越えの最中だったのです!
体感なので、実際は分かりませんが、傾斜15度くらいは傾いていたと思います・・・
そんな貴重な体験をしつつ、朝目覚めたら、5時には初めてのイタリア・ヴェローナに到着していました!
ヴェローナの街並
電車の旅を終え、ヴェローナの街並みを散策。
早朝に着いたので、人はまばらでした。
初めてのイタリア、ようやく来れたオペラ発祥の地”イタリア”
ウィーンは今回の旅行の前にも、別の演奏旅行で訪れたことがあったので雰囲気は知っていましたが、イタリアはウィーンとも全く違う雰囲気でした。
オーストリア=ハンガリー帝国の首都だったウィーンは、貴族の歴史、音楽の歴史を感じさせつつ、首都なので近代的な側面もありました。一方ヴェローナは、歴史的にも古代ローマ時代を感じさせるような古い街並みが多く、色は全体的に茶色やオレンジ色の建物が多かったです。早朝でも太陽の日差しがウィーンより強いのを感じました。
歩いてしばらくすると、かの有名な円形闘技場だったアレーナが見えました。
円形劇場はローマにあるコロッセオが特に有名ですが、ヴェローナにも同じような円形劇場があります。
1世紀頃に建設されたアレーナは、約3万人収容でき、コロッセオと同じく剣闘士による闘技も行われていました。
今では、夏になるとオペラフェスティバルが開かれ、世界中から有名な歌手がきて演奏します。
2000年前のアレーナでは、剣闘士を前に観客の歓声が、現代ではオペラの音色が聞こえるなんて、歴史を感じながら、朝の散策を楽しみました。
修道院で宿泊!?
ヴェローナはオペラだけでなく、「ロミオとジュリエット」の舞台になったことでも有名です。
実際にモデルとなった「ロミオ」と「ジュリエット」のお家もそのまま残されていました。
特に、ジュリエットの家は有名で愛を語り合ったあのバルコニーもありました。
(当時はバルコニーはなく、シェイクスピアの物語に合わせて、後付けで作られたものだそうです・・・)
そんな中世の街並みを堪能しながら、ミラノに留学中の大学時代のC先輩を待っていました。
C先輩は、今回のヴェローナ行きの相談もしていた方で、いろいろ予定を組んでくださった方。
半日ほど散策して、宿泊場所にチェックインしに行きました。
宿泊場所は、なんと、元修道院!!
正直、ウィーンの友達と「修道院って、ちょっと古くて怖いかな・・・」と話していました。
15ユーロという格安で泊まれるということもあり、ここにしたのですが、少しだけ不安でした。
しかし、中に入ると、思った以上に広く、古さも感じず、宿泊場所として居心地が良さそうでした。
また、石造の建物なので室内はひんやりとしており、冷房もいらず、気持ちのいい空間でした。
管理しているおばさんも親切な方だったので、私としては何も問題なく過ごせると思いました。
イタリアオペラを本場の地で味わう
夜は、もちろんアレーナにオペラを聴きに行きました。観覧した席は一番安い25ユーロの席。
(破格・・・!!!)
上演演目は、イタリアオペラ「椿姫」
(王道・・・!!!)
夜9時から始まるオペラ。
石造のアレーナ、ひんやりとした席に座布団を敷いて待っていると、どこからともなく蝋燭が配られてきました。
隣り合った見知らぬ人たちで、それぞれ火を灯していきます。
ふと周りを見渡すと、円形劇場全体がキャンドルの光だけになり、とても幻想的な景色になっていました。
「感動」の一言です。
オペラは、銅鑼の音で始まりました。
全く別世界にタイムスリップしたような感覚になり、昨日までいたウィーンの歌劇場とは異なった世界。
円形劇場の広さを存分に使った演出は、歌手が横になって歌っているベッドの高さが上がったり、本物の馬が何頭も登場したり・・・
まるで私たちもオペラの中で、生きているような感覚になりました。
オペラが終わったのは、真夜中近く・・・
まるで夢のようなひとときでした。
余韻冷めやらぬ中、ひんやりとした石畳を歩きながら、宿泊場所の元修道院へ到着したのは夜中1時近くでした。
いざ、ミラノへ!
まだまだ観たいオペラがあるヴェローナを後に、次の日は早速ミラノへと出発しました。
ヴェローナからミラノまでは鈍行電車で移動。
夏の暑い日でしたが、乗った車両は冷房が効かなかったため、冷房の効いた車両を移動すると大勢の人でごった返していました。
幸い、途中下車する人がいたので座ることができました。
約2時間の旅を終えて、ミラノ中央駅に到着!!
1931年に完成したミラノ中央駅はファシズムの影響を受けつつも、リバティ様式やアール・デコの混合様式だそうです。
私は建築には詳しくありませんが、大きな空間の中で味わう建造物は、駅というより一つの美術品の中にいるようでした。
そんな素敵なミラノ中央駅から、先輩のお家まで地下鉄で10分で到着しました。
先輩のお宅は、2DKの一人暮らしでした。
留学先ではシェアになることも多いと聞いたことがあったので、2DKの一人暮らしは羨ましいくらいでした。
到着した夜は、イタリアワインに、生ハム・メロンの組み合わせで晩酌しながら留学生活について聞きました。
音楽院がいいとは限らない?!
先輩は、ミラノのヴェルディ音楽院に通っていたので、実際の音楽留学はどんな様子か聞きました。
実は、その時先輩はなんと休学中でした・・・!
理由は、声帯にポリーブができて日本で手術を受けるためだそうです。
音楽院で習っている先生は、有名な教授でしたが発声法が合わず、無理に歌っていたそうです。
そしたら、だんだん声がかすれはじめ、歌が歌えなくなったそうです。
日本に一時帰国した際に、病院に行ったらポリーブができてしまったとのことでした。
話を聞くと、留学しても喉を痛める生徒さんは少なくないそうです。
実際に、他の日本人留学生も同じようにポリーブができて、手術のために一年休学中でした。
その他、イタリア生活は、食べ物も美味しく、ヨーロッパ各地に電車や飛行機で簡単に旅行に行けるそうで、とても満喫した様子でした。
週末になると、イタリア人の友人と山に行ったり、街中だけでなく、自然にも触れて留学生活を送っている姿は、ウィーンの留学生活とはまた違った様子でした。
喉の不調が本当に気の毒でしたが、先生選びはとても重要だと改めて考えさせられました。
ようやく出会えた!歌の先生
今回のイタリア訪問は、ウィーン同様、音楽生活がどんな感じか知る旅でもありました。
レッスンは最初から受けるつもりは、ほとんどありませんでしたが、別の先輩からイタリア人の先生を急遽紹介されることになりました。
「イタリアにいるの?」
「じゃあ、ついでにレッスン受けてみれば?」
というような、軽い流れでした。
私はどんな先生なのかも分からずに、記念受験のような気分でレッスンに向かいました。
ミラノ郊外のご自宅に伺うと、そこにはブロンドヘアの可愛らしいおばあちゃん先生がいらっしゃいました。
クルクルと大きな目が特徴的な笑顔の素敵な先生でした。
素敵なおばあちゃん先生は、ミラノスカラ座で何十年にもわたって演奏しており、イタリアだけでなく、ヨーロッパ、ロシア、スカラ座の日本公演でも世界中を飛び回って歌っていた有名な歌手の先生でした。
最後に出演したオペラはウィーン国立歌劇場だったそうで、雲の上のような存在の方でした。
笑顔で出迎えてくれた先生を一目見て、素敵な方だなと思い、リラックスしてレッスンにのぞめました。
先生のレッスンは、アメリカの先生と同じで、一音一音をとても丁寧に聴いてアドバイスをしてくださいました。
欧米の先生に何人か指導いただきましたが、どの方も一音一音、特にレッスン開始後の15分間は慎重に音を出すように指導されました。喉を痛めることがないように、とても注意されていて、まずは”音そのものの発し方”を作ることから始まりました。
ピアノのように、”指を置いたら音が鳴る”とは違います。
歌は、楽器の中で唯一楽器そのものが見えず、体の中にある声帯を使って音を出します。
バイオリンのように弦や弓を替えることができず、一生一つの楽器を使い続けるので、痛めないように慎重になるのは納得です。日本でもそのような教え方をする先生はいるかと思いますが、少なくとも私自身は出会ったことがありませんでした。
そのため、海外でレッスンを受ける度に、音を慎重に出すことの大切さを身に染みて感じました。
約20分の発声の指導が終わり、曲を聴いてもらうことになりました。
念のためにと思い準備していた”オペラのアリア”は、ロッシーニのセヴィリアの理髪師から『今の歌声は(Una voce poco fa)』を選びました。
発声の時はリラックスしていましたが、いざイタリア人作曲家ロッシーニの曲をイタリア人の先生に聴いていただくとなると、とてもドキドキしました。
イタリア語の発音や表現は大丈夫か・・・勉強してきたいえども、緊張の一瞬でした。
しかし、穏やかな先生は発音を丁寧に直してくれ、音楽表現を教えてくれる時は、実際に声を出して歌ってくれました。
70代とは思えないくらいビンビンと部屋中に鳴り響くその声は、鼓膜がビリビリするほどでした。
表現方法も役柄そのもので先生の愛嬌と相まって、とても素敵でついつい聴き惚れてしまいました。
これが、長年第一線で歌い続けてきた人か・・・
自然と惹き込まれてしまうその歌声と役になりきった先生を目の前に、「絶対この先生に習いたい!」と強く思いました。
今までの先生と全く違う『オペラ歌手』でした。
本物に触れなければ、自分はいつまで経っても本物が分からないまま終わっていくだろう。
そう思いました。
レッスンの最後に、先生から一言。
「次はいつ来れる?私、あなたを教えたいの」
と言われました。
とってもびっくりして、言葉が出ませんでした。
他の先生なら、レッスン代目当てか・・など邪推を持ったことと思います。
でもその先生は、心から教えたいという気持ちが伝わってきて、声だけでなく私の心にビンビン響きました。
私は嬉しくて、イタリア滞在中はレッスンに通うことにしました。
先生を紹介してくれた先輩に聞くと、あまり先生自身から「あなたを教えたい」ということを仰ることはないらしく、先輩も驚いていました。
今までいろんな先生に出逢いましたが、一度のレッスンで『この先生だ!』と自分の中ではっきりと思えたのは初めてでした。
そして何より、人柄に惹かれたのも大きかったです。
プロの先生はいろんな技法を皆さん持っていらっしゃいます。その中で、その時の自分にあうのか、将来的に見て歌い方はここでしっかり身につけることができるのか、様々な要素で考える必要があります。
技法や表現方法を自分のものとして確立していくには、先生の稽古はとても大事です。
その先生とうまくやっていけるか、これがポイントになります。
そういう意味では、恋愛に似たところがあるかもしれません。
この人と長続きできるのかどうか、未来は見えるかどうか。
私は先生のレッスンを受けたときに、この先生の教え方と人柄だったら私はやっていけるという自信がありました。
もちろん、他の方にとっては合わないこともあると思います。
自分にとって良くても、他の人には合わないということはありますから、自分の目で、体験で見極めることが重要になります。
これから留学を考えている人は、ぜひこの点を参考にしてもらえたらと思います。
留学初心者へ向けたポイント
先生選びは自分の目でしっかりと
これまで、日本を入れて5カ国にわたり、先生選びをしてきました。
歌を習い始めて、11年目にしてようやく、自分自身が心底「習いたい」と思える先生に出会えました。
そのくらい、先生選びは人によっては時間がかかります。
そして、選ぶポイントがそれぞれ異なります。
「コンクールで受賞するための先生が必要な人」もいれば、「仕事を得るための先生が必要な人」も実際にいます。
私は、「長く歌えるために、根本から歌い方を見直したかった人」でした。
皆さんの人生、どんな時にどんな先生が必要かよく見極めて先生を選んでいきましょう。
実生活を想像する
今回の旅で最も意識したことは、「自分が実際に生活するとしたら・・・?」ということでした。
今までいろんな国に行きましたが、正直イタリアが一番居心地が良かったです。
私の基準は、「食べ物」と「空気感」でした。
長い留学生活で食べ物はとても重要です。
東京の学生生活では、食べ物に悩まされました。
正直、スーパーの魚が美味しくない・・・目の前が海、後ろが山という田舎で育った私にとって、食べ物や水は大事な体の一部といっても過言でも無いほどでした。
もちろん、どこの国でもそれぞれいろんな特徴がありますが、イタリアは特に食べ物の種類が豊富。そして私が大好きな果物とワインが豊富でした。
長く生活する上で、食べ物があうか、水があうかというのはとても大事。ウィーンも良かったですが、イタリアを超えることはありませんでした。
食べ物と同じくらい大事なのは、「空気感」でした。
そこで生活している人の雰囲気みたいなのがとても温かかったです。
修道院のおばさんや、バールやスーパーで買い物をするとき、いろんな人が微笑んで対応してくれました。
ウィーンも良かったですが、都会の雰囲気がありました。
イタリアは人との距離が程よく保たれつつ、親しみを感じるくらいの丁度いい塩梅でした。
留学先は総合的に判断する
留学で最も大事なのは、”先生選び”です。
そして、それと同じくらい大事なのが「生活」です。
日本でも、大学で上京、就職で引っ越しなど、人生のターニングポイントがあります。
そのときに、ただ住めればいいやということで、引越し先・住環境を決めるでしょうか?
最寄り駅はどんなところか、スーパーは側にあるか、同じアパートにはどんな人が住んでいるか等、いろんなことを考えて生活する場所を決めていきます。
留学生活も同じで、自分が生活して、より良い状態でレッスンに打ち込める、そういう環境選びはとても重要なことです。
私は、19歳から先生選びを始めて、26歳でようやくこの先生に習いたい!と心底思える先生にようやく出逢えました。
そして、イタリアという土地が私にとっては、この上なく居心地のいい場所でした。
長い道のりではありましたが、諦めずに、先生を探し続けて本当によかったです。
これから留学を考える方、留学に迷われている方の参考になればと思い、私の経験をシェアさせていただきました。
諦めずにいれば、きっと自分にあった先生が必ず見つかります。
どうかその日まで、未来の自分を信じて先生選び・留学先選びをぜひしてみてください。
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