ドイツ留学から始まり、北米に渡り、海外留学を試みた私ですが、カナダの受験は失敗に終わりました。
カナダの音楽院を落ちた理由を先生に聞きました。
【落選理由】
前年度の合格者レベルに達していたので、音楽院受験を勧めたが、今年度は海外からの受験者数が3倍以上に増え、合格レベルに満たなかった。
録音データでの試験だったのですが、簡単に言うと自分の実力不足でした。
当たり前ですが、”上には上がいる”。
合格発表があったのは6月。今後の人生を考える上で、大学院に行きつつ、研鑽を積みながら、再度音楽留学の可能性を模索することに決めました。
9月の大学院受験に向けて、今度は受験勉強に舵を切り、必死になりました。
大学院の受験は、筆記試験から実技試験までおよそ1ヶ月にわたり、学業と実技への時間の割き方が最も鍵となりました。
他の受験生は長い人では1年以上かけて、音楽院受験の準備をしているので、3ヶ月で合格するとというのは、無謀だなと自分でも思いながら、毎日バイト、受験勉強、レッスンのオンパレードでした。
怒涛のような夏から秋まで続いた受験は、無事に合格しました。
合格発表は郵送でしたが、嬉しいと言うより、安堵感の方が勝り、それ以降の1ヶ月は、実家に帰省したり、自分の心をリラックスさせることに意識を向けました。
大学院での生活は
学業との向き合い方
留学から大学院生活にシフトチェンジしたのですが、大学院はより専門的分野を学び、それと共に歌の実力をつけていくことがほとんどでした。
しかし、こんなことを言ってはいけないかもしれませんが、専門的分野を学ぶにしては学費が高いなと思うことが多かったです。
本で学べることをホワイトボードを使って改めて学び、教授陣たちの昔話を聞くことは、有意義だったとは正直言って、思えませんでした。
最初の頃は、そんな授業スタイルに不満を覚えたりもしましたが、本当に自分が勉強したいことや、日々疑問に思うことを解決するべく、頭を切り替えるようにしました。
与えられた授業内容や時間の使い方は自分ではコントロールができないので、大学院でしか得られない学術的な論文を読んだり、豊富な音源を聴いて、自分一人の生活では手に入れられないことを思いきり有効活用するようにしました。
そして、幸いなことに、私は常々教わりたいと思っていた教授に論文指導をしていただくことになりました。
年間2人しか生徒を持たない教授だったので、とても幸運でした。
特に私は、アメリカで活躍したイタリア人の作曲家の研究をしていたので、イタリア語と英語の両方で論文を読んだり、資料分析する必要がありました。
担当教授は、どちらの言語も卓越した方だったので、研究内容を相談するのにとてもスムーズに事が運びました。
学業の面では、授業よりも論文の方に比重をかけて、より専門的な分野への研究を深めることができました。
自分なりの勉強の仕方をしつつ、最低限単位取得をしつつ、自分の研究分野に重きを置くのも大学院生活を有意義に過ごす一つの方法でした。
歌は困難の極みに
学業面では、自分なりにコントロールできる事ができたのですが、歌においてはとても難しい2年間となりました。
一つ目は、大学院入学直前、声楽レッスンの先生の変更を余儀なくされました。
大学や大学院先生と生徒で承諾のもと、レッスンの先生は決まります。
今回も受験時からお世話になっていた先生で、信頼していた先生だったのですが、入学直前の教授会で突然大人の事情で先生を変更させられてしまいました。
じゃあ、次の先生は誰なのか?
声楽界の大御所の教授でした。
実は、教授は年間3人しか生徒のレッスンをしないのですが、前年度に3人全員が卒業・修了したことにより、誰か生徒を渡さなければいけないという状況でした。
そこで、大学・大学院から私を含む3人がその先生に習うように、変更されてしまいました。
通常でしたら、「そんな大御所の先生に習えるからいいじゃん!」という声が聞こえてきそうですが・・・
(実際、同級生のほとんどに言われました)
これが大変な日々でした。
1回のレッスンは3万円。伴奏代に5,000円。
・レッスン時間は自由気ままに遅れる
・先生のお使い(百貨店に靴を取りに行かせる・買い物を頼まれる)
※昔の作家弟子のような感じ
・先生のご自宅へ行くと、料理をしなければならない
このように、レッスン以外のことに時間を取られてしまい、学問とバイトに追われる身としては、正直いい気持ちはしませんでした。
では、レッスンはどうだったのか?
レッスンは、学べることはありました。
それは、今までの歌い方を根底から覆す内容でした。
しかし、真面目に実践すればする程、声がとんでもない方向に行きました。
ドイツ歌曲やオペラ学科の授業で歌うと、長年私の声を聴いてきた先生のほとんどに呼び出されました。
「どうして、あんな歌い方をするの?」
「あなたの声のいい部分がなくなっている」
そんな声を頻繁にかけられるようになりました。
私の中では、いろんな考えが頭を巡りましたが、時すでに遅しで、私から先生の変更願いを出すことは、できない状況でした。
大学院修了試験では、私の専門分野とは全く異なる国の歌曲でプログラムを組まれ、それ以外の選択肢は与えられませんでした。
もちろん、その先生に対して反旗を翻すこともできたでしょう。
しかし、私はただただ、このような音楽界の実情を残念に思い、海外留学で経験した先生たちの熱量とは異なる部分に、海外と日本の音楽界の歴然たる違いを冷静に見るようにしました。
留学を一度は諦めた人へ
勉強法はいくつもある
今回のように留学先が決まらずに、日本にとどまる選択をする人は多いと思います。
留学が先延ばしになったからといって、日本での生活が変わらないことはありません。
常に状況は変化し、自分の考え方や方向性も変わることでしょう。
時間の使い方は人それぞれで、何が無駄で何がよかったか等、全てを決めるのは自分自身です。
思い返すと「1年前の自分」と「今の自分」では、生きているだけで何かが変わっています。
その中で、どう勉強していくか、時には抗えない環境下に身を置かなければいけないこともあるでしょう。
それを有意義なものにするのか、次のステップに行くための”我慢の日々だ”と思って過ごすことでも忍耐強さは培われます。
私は、2年間の大学院生活で一方では得られたもの、一方では悔しい思いをしたもの等、いろんな側面で経験も積めて、学びがありました。
全ては今に繋がっている、未来に向けて気持ちの切り替えを少しずつでもしていくことが、勉強を続ける上で大切なことだと思います。
他の人の勉強法や歩みは参考になることばかりです。
それも含めて、自分なりにベターな勉強法をぜひ見つけてほしいと思います。
探し続ければ、必ず見つかることを信じて。
今できることを最大限に
この時は、残念ながら留学を諦めました。
その時は、それが1番のベストな選択だったと思います。
いいことが続く人生もいいけど、いろんな困難があって挑戦し続ける人生も案外、意外な自分を発見できたと思います。
留学試験には落ちたけど、大学院には合格した。
その先にあった未来も、いつかは過去になり、自分を飛躍させる土台になります。
今できることを最大限に。
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